宇梶静江 略歴
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1933年 |
・北海道浦河郡字姉茶(旧荻付村)で、浦川春松とミヤの四男二女の三番目の次女として生まれる。 |
1953年 |
・私立北斗中等科(札幌)に入学。 |
1956年 |
・同校卒業。上京し、働きながら定時制高校に通う。 |
その後、結婚し、宇梶姓となり、一男一女をもうける。 |
1963年 |
・詩作を始め、詩人会議に所属。「灯籠の灯を数える少女」などを発表するが、アイヌをテーマとした作品が書けないことに悩む。 |
1972年 |
・浦川美登子と共に、朝日新聞に「ウタリたちよ、手をつなごう」を投稿。首都圏アイヌ結集のひとつの契機となる。 |
1973年 |
・東京ウタリ会を結成し、アイヌ権利獲得のための活動を始める。 |
1974年 |
・東京都在住のアイヌのための施策を求めて、東京都議会に働きかけを開始。 |
1975年 |
・この働きかけによって、東京都による都在住のアイヌ民族の生活実態調査が実施され、その結果、新宿職業安定所にアイヌのための相談員枠が設けられ、初代相談員を務める。その活動の軌跡は、道外のアイヌ活動家として唯一「北海道ウタリ協会五十年の歩み」に記載される。 |
1994年 |
・アイヌ詞曲舞踊団「モシリ」東京公演実行委員会のメンバーとして全国ツアーに参加。 |
1996年 |
・北海道ウタリ協会主催の職業訓練所でアイヌ刺繍を勉強し直し、和服地を用いて、伝統刺繍でアイヌの精神世界を古布絵に表現することに成功。
・札幌市の市田ギャラリーで初の刺繍作品の個展。古布絵作家としてデビュー。
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以後、各地で作品展を開く。 |
1997年 |
・出身地浦河町の図書館で開かれた展示観賞会に刺繍作品「浦河憧憬」を出品。 |
1999年 |
・東京フジタアヴァンテにて、首都圏在住のウタリ(同胞)たちをモデルに起用した、アイヌ刺繍作品のファッションショーを開催。 |
2001年 |
・弟浦川治造、星野工と共に、米国の先住民支援NGOの招きで訪米。ハーバード大学ウェザーヘッド国際問題研究所主催の講演会で「アイヌ—-私たちのアイデンティティと望み」と題する講演を行う。MITにおいても、日本プログラム主催で同内容の講演を行う。
・福島県いわき市美術館にて、オーストラリア先住民族の画家バーバラ・ウィアーさんと対談。 |
2002年 |
・アイヌ衣服文化に関する調査団にオブザーバーとして参加し、ドイツの大学、博物館を訪問。 |
2003年 |
・福島県いわき市の海外姉妹都市との文化交流の一環としてオーストラリア、タウンズヴィル市を訪問、作品展、大学での講演、ラジオ出演などを行い、アボリジニの芸術家と交流。
・アイヌ工芸作品コンテスト(一般部門)刺繍古布絵作品「セミ神様のお告げ」が優秀賞。
・ユーラシアン・クラブ主催のロシア東部地域訪問に参加し、先住民族と交流。 |
2004年 |
・(財)アイヌ文化振興・研究推進機構よりアイヌ文化奨励賞を受賞。 |
2006年 |
・リバティおおさか(大阪人権博物館)「語りの広場」で「アイヌ民族として」という演題で講演。 |
2007年 |
・首都圏アイヌの活動を描く映画製作を呼び掛け、ドキュメンタリー映画「TOKYOアイヌ」製作の契機となる。 |
2008年 |
・7月の洞爺湖でのG8サミットに先がけて開催された「先住民族サミット アイヌモシリ2009」に共同代表として参加。
・NHKラジオ深夜便「こころの時代」に出演。 |
2009年 |
・『セミ神さまのお告げ』が北海道学校図書館協会の指定図書(北海道青少年のための200冊)となる。 |
2010年 |
・首都圏アイヌのとりまとめ組織アイヌ・ウタリ連絡会代表に選ばれる。 |
2011年 |
・2011年吉川英治文化賞受賞。
・2012年リオで開催される第三回「地球サミット」国内準備委員会委員に首都圏アイヌ代表として選ばれる。
・エッセイ集『すべてを明日の糧として』刊行。
・NHKラジオ「私も一言」に出演 |